愛する幸福

 
 「愛」と「幸福」は、コインの表と裏のようなもので、
切っても切れない関係にあるのではないでしょうか?


 人間は子供の時代から、「他人から愛を与えられるのはよ
いことで、愛を与えられないのは悪いことだ」ということを、
本能的に嗅(か)ぎ分けていきます。
しかし、誰もが愛をもらうばかりだったならば、
供給する側がいなくなってしまいます。

 愛について需要ばかりで供給がなければ、世の中から愛が
干からびてしまいます。
 食糧の自給さえままならぬ世の中で
すから、全ての人が愛されることばかり願って、愛する人が
いなければ、愛は需要だけがあって供給がなくなります。
そうすると愛に飢えた人があちらにもこちらにも出てくるのです。

 愛は男女のあいだや家庭にだけあるものではありません。
社会に出ると、他人とのあいだに愛は成立します。
愛という言葉を称すること、冠することが不適当だとしても、少なく
とも、「他人に良く思われるか思われないか」ということは
あり得ると思うのです。

 人から良く思われている人は、やはり愛されていると言え
ましょう。
また、人を良く思う人、すなわち、人をよしと見
て、その人の面倒をみ、親切にし、優しくする人は、やはり
愛を与えていると言えるのではないでしょうか。

 この地上世界の人々の姿を霊的な目で見てみると、砂漠の
中を歩いている旅人のように見えるそうです。
あそこにも、ここにも、喉が渇いた旅人たちがさまよっています。
「喉が渇いた。喉が渇いた」と言って、
日照りのなか、砂漠を歩いているのです。

 彼らはお互いに愛することができれば、その渇きをいやす
ことができるのに、他人に与えることをせずに、もらうこと
ばかりを考えているため、渇きをいやすことができないので
す。

 こうした現状をよく考えてみると、そこに、「誰(た)がため
に愛するのか」という質問に対する答えが出てくるはずです。
「情けは人のためならず」という言葉を聞いたことがあります。
「情けは人のためならず」とは、「情けというものは、
回りまわって自分に戻ってくる」という意味です。
同じように、愛というものも、回りまわって、やがて自分に戻ってく
るものなのです。


 私たちは、愛の経済学について考えてみましょう。
 例えば、農家は野菜や米を作ると、それを市場に売りに出
ます。
その結果として貨幣が与えられます。
この貨幣でもって、車など自分に必要なものが買えます。
そうすると、車をつくった人は、
農家の人が持っていた貨幣を手に入れることができ、
この貨幣でもって野菜や米を買うことができるのです。


 このように、すべてが循環しています。
経済においては、貨幣を媒介として、各人の働きが作り出す価値、
労働の価値が、常に循環しているものなのです。

 愛も同じです。あなたが与えた愛は、他人を通して自分に
戻ってくるのです。
与えた分だけ与えられる・・・・これは
一つの法則なのです。

 米を作った分だけの代価が与えられるように、あるいは、
働きに応じた賃金が与えられるように、
他人に対して愛を与えた人には、愛が同じだけ返ってくるのです。
それは、この三次元においては、目に見える姿とはならないかもしれませ
んが、霊的に見ると、まさしくその通りなのです。
愛を与えた人には愛が返ってくるのです。
つまり、幸福になるのです。 
 これは、多くの愛を与えれば与えるほど、
愛の収入が増えてくるということでもあります。

 幸福になるためには
愛することが必要だと思いました。



                                                             (参考文献 永遠の法・第4章)

【愛は見つけるもの】


愛は、目には見えません。

だから、愛に関心を持っていない人に
愛は、見えません。

愛は目に見えないから
こころで見る(感じる)もの。

あなたが愛に関心を持てば、

そうです、
あらゆるところに愛はあります。

愛をそとに見つけることができれば、

次に、
自分のこころのなかに
愛を見つけます。

そして
その愛を大切に持ち続けてみましょう。

そうすれば、
ふしぎなことに
その愛は磁石のようになって
他の人の愛が、引き寄せられます。

あなたは
孤独ではなくなるのです。

あなたは、他の人を助け、
そして助けられるようになります。

成功者は実は、
愛を発見した人なのです。

愛は見つけるもの、
たいせつにするもの、
わかちあうもの、

そして愛は

幸福という果実を生みます。





【自分との対話】


「ほんとうのぼくって、なんだろう?」

「ほんとうのぼく?
それは、愛だよ。」

「愛と一言で言われても、困るよ。
愛って何なの?」

「それは、自分の心で見て、感じるものだよ。
たとえば、
モーツアルトの音楽を聞いて
その音楽を、言葉(理論)で表現(説明)して他の人に聞かせることは
できないよね。
音符を読めない人に、モーツアルトの楽譜を見せても、
その価値を認めることはできないよね。
それと同じだよ。
 音楽が音として表現されるように、
愛は行為として表現される。
だから、その人の行為、行動を見れば、
その人の愛を見ることができる。
感じることができる。
 愛に興味を持って、愛を観察していけば、
神様の愛に気がつくこともできる。
愛のちからによって、すべてが
生かされているのがわかってくる。」




【足摺岬にて】

足摺岬の
澄んだ空
青く広がった海
水平線が少し曲がっている

こんなに美しい
地球の
景色のなかで

死を選んで
どこに行くの?

あなたは
死ではなく
愛を
希望を
理想を選ぶのだ
夢を選ぶのだ
真実の愛を選ぶのだ
そうだ
神はそこで待っている。

あの水平線を
直線にしようとして努力しても
無駄ではないか

自然の力にさからってはいけない
愛の力にさからってはいけない

あなたの自然を
表現するのだ

あなたの愛を
表現するのだ

あなたの外に愛は見えなくても
あなたの中に愛は見える


足摺岬にて
あなたへの
愛を詠う




【愛はちから】

愛は理想
理想を持たないひとは
愛を持たない

愛は夢
夢を見ないひとは
愛を見ない

愛は現実(真実)
現実から逃げるひとは
愛から逃げる

愛は神
神を信じるひとは
愛を信じる

愛はちから
理想を
夢を
現実へと引き寄せる










 

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